子ども時代は本当に些細なことで生きていける。私は、勉強嫌い宿題嫌いで、なにしろあれしろと言われるのも大嫌いで、好きなことは学校から帰ってくるとランドセルを放り出して真っ暗になるまで外をかけずり回って遊ぶことと、図書館の本を読むことだけだった。
そんな私でも父はそれこそ言葉通り舐めるように可愛がってくれた。時たま父の誕生日などに短い手紙を渡すことがあって、そんな時は文章を毎回褒めてくれた。その褒め方も尋常ではなく「りかちゃんは物を書く人になったらいいよ!」と。私はいつでも劣等生で、本は好きだけれどもかつて一度も読書感想文で先生から褒められたことや、ましてや賞などには無縁だったにもかかわらず、だ。それでも、父がそんなに褒めてくれるので自然と言葉を紡いでいくことが好きになった。
その頃の勉強もできない元気だけが取り柄の私が、学生時代を過ごして来られたのはそんな父の言葉があったからだと思う。「私の文章は上手なんだ!」となんの根拠もなく、よすがは父の言葉だけなのであるが、失敗しても友だちとけんかしてもテストが悪くても宿題忘れてもそれだけで、「私はお父さんに褒められた!」といつも元気いっぱいでいられた。
何がそんなに自信になったのかはわからない。今、大人になってから考えると、大好きな父が私のことを無条件に認めてくれていることが私の世界の全てだったような気がしている。お父さん、お誕生日おめでとう。(土性里花・グループPEN代表)
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