「どうぞ!」の子どもたちの声に「着火します!」と宣言する父ちゃんの顔は得意満面。そして「わぁ!」と拍手。思わず「何じゃそりゃ」と突っ込みたくなる。
新居に、中古ながら薪ストーブを置いた。木組みで土壁の家は保温機能も高く、しかも平屋なのでこれ一つで暖が取れ、しいては男のロマンらしい。そんな薪ストーブの季節を父ちゃんが一番心待ちにしていた。
ある日、空が冬の空になり、夕闇に包まれる家々の明かりが暖かく感じられ、トイレの便座を冷たく感じて母ちゃんの冬スイッチが入った。父ちゃんも冬スイッチが入ったようで、少しでも寒さを感じると「点ける?」の呪文を呟いており、さすがに霜月に入る頃、みんな我慢しきれず、着火式?がめでたく執り行われた。
煙の香りが広がるとふんわり昔の思い出が甦ってきた。実家が一時、薪風呂だった母ちゃんにとって火は身近な存在で、たき口に座って火を眺めたり、ヒノキの葉をくべて音を楽しんだり、火箸でかき混ぜて祖父に火遊びしたらオネショすると叱られたり…。休みの日は薪運びをさせられたが、薪小屋が一杯になると心まで温かくなった。記憶の中のたなびく煙の空はなぜか群青で、これが郷愁というものだろうかとふと思う。
火があると人が集う。これもまた温かい。が、父ちゃん、そんな大きな薪くべんといて。薪が減ると妙に心が寒くなる!ほんとこの歳になってまた、薪の確保で四苦八苦するとは思わなかった。
(古谷暁子・ブルーベリー農家)
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