聖路加病院名誉院長で、戦後の日本の医療を牽引された「日野原重明」氏が七月十八日に亡くなられた。朝日新聞の日曜版に連載されていたコラム「105歳 私の証・あるがままを行く」をいつも愛読していた。人間というのは、生き方次第で、このようにいつまでも明晰な頭脳を保てるのだと驚嘆しながら。
今年の四月十五日、丹波市俳句協会の総会のあと、丹波の俳人について話をさせてもらった。前半は西山泊月と野村泊雲、後半は片山桃史と細見綾子について、特に戦争以前の青春俳句を中心に紹介した。その中で大正元年生まれの桃史が今生きていたら百五歳、今もかくしゃくと活躍中の「日野原重明」氏と同年代だという話もした。桃史をはじめ、先の戦争では多くの若者の命が無残に絶たれたことを知ってほしか
ったからでもあった。
桃史については、八月二十日付け本紙に、岡山県在住の一色哲八氏が編集、出版された「悲運の新興俳人― 片山桃史」についての記事が掲載された。この本は先月、句会員から貰っていたので、機会があれば紹介したいと思っていたところだった。成績優秀だった小中学生時代のたくさんの賞状のコピーや学友との文集のエッセイに詩、そして俳句などを読むとき、あらためてその才能に驚嘆する。
日野原氏も医学のみならず、音楽や文学を愛する人であった。彼は、父親が牧師をしている教会の信者の支援で京都帝大医学部へ進んだ。桃史も経済が許せば京都帝大へ進学していたかも知れない。二人の人生に運命の理不尽さを思う。
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